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◆ ネルソンス指揮 投稿者:龍門 歩  引用する 
『プレミアムシアター ライプチヒ・ゲヴァントハウス』
 カペルマイスターに就任したネルソンス指揮ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏。
 ▽モーツァルト作曲『交響曲 第40番』
 ▽チャイコフスキー『交響曲 第6番』
 前者は平凡すぎる演奏。というか、ネルソンスがこの曲の本質を理解していないのではないかと疑ってしまうようなリラックスした指揮ぶり。リラックスしてはいけないとは思わないけれど、なんだか意図がよくわかんない。
 後者は心のこもった! 特に3楽章、4楽章は、指揮者の工夫が生きていて、チャイコフスキーの懊悩がこちらの脳に捻り込んでくる。ネルソンスにこんなにも深い知性があるのかと、(僕がファンであるだけに)改めて感じ入りました。
 オーケストラもいいですね。そして、パイプオルガンの壮大なこと!

2018/07/28(Sat) 17:42:07 [ No.3199 ]

◆ アルペジョーネ 投稿者:龍門 歩  引用する 
クラシック倶楽部『クリストフ・コワン アルペジョーネを弾く』
(2018年4月19日 武蔵野市民文化会館 小ホール)
▽アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D.821
 アルペジョーネ=クリストフ・コワン、フォルテピアノ=金子 陽子
▽バイオリン・ソナタ イ長調 D.574
 バイオリン=ジェローム・アコカ、フォルテピアノ=金子 陽子

 いずれもシューベルト作曲。金子さんについては言うことなし。
 素人(僕)だから確たる根拠はないが、コワンさんもアコカさんも音程が微妙に狂うし、楽譜を追うのすら大変のように見受けられた。古楽のスペシャリストなら、もっと楽器を弾きこなしてもらいたい。
 アルペジョーネを映像付きで鑑賞するのは初めてだったが、1ヵ所とちるし、音程が不安定だから聴くほうもはらはら。弾きこなすのがそんなに難しいのかな? そうだとすれば、楽器そのものが廃れたのもうなずける。アルペジョーネの哀愁を帯びた音色は捨てがたいけれど・・・
 ヴァイオリンも、ガット弦だからといってこんなにもたどたどしい音か? 演奏するのが精いっぱいで曲想にまで頭が回らないって感じ。たしかファウストがワンステージでモダンとピリオドを弾き分けたことがあったが、いずれの機能をも充分に生かし、素晴らしい演奏を聴かせてくれた記憶がある。
 お二人とも更なる精進を重ねられることを期待する。 

2018/07/28(Sat) 17:38:38 [ No.3198 ]

◆ 『ジゼル』 投稿者:龍門 歩  引用する 
BSプレミアム「バレエ『ジゼル』」鑑賞

 1841年にフランスで初演された、中世ドイツのとある村で繰り広げられるロマンティック・バレエ作品。全2幕。作曲はアドルフ・アダン、振付はジャン・コラーリとジュール・ペローだったという。

 今回鑑賞したのはアクラム・カーンが振り付けし、ヒロイン=ジゼルを、イングリッシュ・ナショナル・バレエ団芸術監督のタマラ・ロホが踊る新時代の『ジゼル』。
 アドルフ・アダン:作曲/ヴィンチェンツォ・ラマーニャ、ガヴィン・サザーランド:編曲(管弦楽)イングリッシュ・ナショナル・バレエ管弦楽団、(指揮)ガヴィン・サザーランド(2017年10月25・28日 リバプール・エンパイア劇場)
『ジゼル』という「名詞」を知ってはいたが、バレエ曲のタイトルであることをこの番組で認識したしだい。コントラバスと大太鼓の低周波が幕間のあいだも続き、その上に奏でられる音楽が、単純ながら表現力豊か!(編曲かな?)。それに、時代を超越したコスチューム、背景が作曲年代との違和感を全く払拭しており、ダンスもダイナミックでミステリアス、引き裂かれた愛に悶え苦しむ男女の狂おしい所作、冥界と現世を融合したかのような幻想的な舞台と踊り、現世とあの世を分かつ壁;目を離せないほどの魅力たっぷりなバレエだ。
 バレエには全く興味のなかった僕だが、こういうわけで最近はバレエのみならず、さまざまな「身体表現」にも幾許かの関心を抱くようになった。

2018/07/27(Fri) 14:55:54 [ No.3197 ]

◆ 無題 投稿者:龍門 歩  引用する 
あらゆる可能性を凝縮し尽くす

2018/07/24(Tue) 18:39:59 [ No.3196 ]

◆ エフゲニー・オネーギン 投稿者:龍門 歩  引用する 
プレミアムシアター 演奏会&歌劇「エフゲーニ・オネーギン」を鑑賞。
 ブルックナーゆかりの聖フロリアン修道院で奏でられた<ゲルギエフ+ミュンヘン・フィルによるブルックナー『交響曲第1番&3番』もよかったけれど、僕としては「よかった」という以上の感想を述べることはありません。なお、この修道院の単純な長方形で天井が高いから残響が素晴らしく、リスニングルームでも減衰する音波エネルギーが心地よく感じられた。

 驚いたのはフェドセーエフ+チャイコフスキー交響楽団による、演奏会形式『エフゲーニ・オネーギン』! オーケストラが奏でる、地の底を這うような作曲家のどこまでも暗い心象が迫ってきて、身震いを禁じえなかった。歌手陣がまた素晴らしい。
 タチヤーナ…(ソプラノ)ヴェロニカ・ディジョーエヴァ
 エフゲーニ・オネーギン…(バリトン)ワシーリー・ラデュク
 レンスキー…(テノール)アレクセイ・タタリンツェフ
 オリガ…(メゾ・ソプラノ)アグンダ・クラエワ
 ラーリナ…(メゾ・ソプラノ)エレーナ・エフセーエワ
 グレーミン公爵…(バス)ニコライ・ディデンコ
 フィリッピエーヴナ…(メゾ・ソプラノ)スヴェトラーナ・シーロヴァ
 トリケ…(テノール)清水徹太郎
 ザレーツキー/中隊長…(バス)五島真澄
 (合唱)新国立劇場合唱団
 いずれも圧倒的な歌唱力・表現力で、タチヤーナもオネーギンもその心情の変容をも歌って言うことなし。さらにレンスキーが、裏切られた悲しみや怒り・不信を痛々しく歌うシーンでは感情移入してしまった。肉体が楽器の声楽はどうしても欧米人に比べてポテンシャルエネルギーが少ない日本人だが、清水徹太郎氏も五島真澄氏も歌唱力に於いては互角に「戦って」いた。ただ五島氏は、プロレスラーのようなバス=ニコライ・ディデンコ氏を意識していたか(しないわけにはいかないだろう)、やや力んでいて、そのぶん声が硬く、声量が伸びなかったように感じられた。
 フェドセーエフはこれらを統率して、この曲のテーマをリアリティー溢れる熱演だった。ブロムシュテット氏についてもそうだったが、このマエストロ、こんなに素晴らしい指揮者だったっけと、いまさらながら感心し、目を丸くしたのだった。
 それにしても身勝手なオネーギン、ざまあみろ! だった。

2018/06/04(Mon) 15:51:28 [ No.3195 ]

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