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プレミアムシアター 演奏会&歌劇「エフゲーニ・オネーギン」を鑑賞。
ブルックナーゆかりの聖フロリアン修道院で奏でられた<ゲルギエフ+ミュンヘン・フィルによるブルックナー『交響曲第1番&3番』もよかったけれど、僕としては「よかった」という以上の感想を述べることはありません。なお、この修道院の単純な長方形で天井が高いから残響が素晴らしく、リスニングルームでも減衰する音波エネルギーが心地よく感じられた。 驚いたのはフェドセーエフ+チャイコフスキー交響楽団による、演奏会形式『エフゲーニ・オネーギン』! オーケストラが奏でる、地の底を這うような作曲家のどこまでも暗い心象が迫ってきて、身震いを禁じえなかった。歌手陣がまた素晴らしい。 タチヤーナ…(ソプラノ)ヴェロニカ・ディジョーエヴァ エフゲーニ・オネーギン…(バリトン)ワシーリー・ラデュク レンスキー…(テノール)アレクセイ・タタリンツェフ オリガ…(メゾ・ソプラノ)アグンダ・クラエワ ラーリナ…(メゾ・ソプラノ)エレーナ・エフセーエワ グレーミン公爵…(バス)ニコライ・ディデンコ フィリッピエーヴナ…(メゾ・ソプラノ)スヴェトラーナ・シーロヴァ トリケ…(テノール)清水徹太郎 ザレーツキー/中隊長…(バス)五島真澄 (合唱)新国立劇場合唱団 いずれも圧倒的な歌唱力・表現力で、タチヤーナもオネーギンもその心情の変容をも歌って言うことなし。さらにレンスキーが、裏切られた悲しみや怒り・不信を痛々しく歌うシーンでは感情移入してしまった。肉体が楽器の声楽はどうしても欧米人に比べてポテンシャルエネルギーが少ない日本人だが、清水徹太郎氏も五島真澄氏も歌唱力に於いては互角に「戦って」いた。ただ五島氏は、プロレスラーのようなバス=ニコライ・ディデンコ氏を意識していたか(しないわけにはいかないだろう)、やや力んでいて、そのぶん声が硬く、声量が伸びなかったように感じられた。 フェドセーエフはこれらを統率して、この曲のテーマをリアリティー溢れる熱演だった。ブロムシュテット氏についてもそうだったが、このマエストロ、こんなに素晴らしい指揮者だったっけと、いまさらながら感心し、目を丸くしたのだった。 それにしても身勝手なオネーギン、ざまあみろ! だった。 2018/06/04(Mon) 15:51:28 [ No.3195 ] |