1: AIと恋愛 / 2: アプローチ / 3: 思考の欠損 / 4: 我が創作の根底 / 5: 改憲論議 / 6: 京マチ子逝く / 7: 半減 / 8: CO2 / 9: 「平坦」ではなくなった / 10: バッハ「世俗カンタータ」より / 11: ドゥダメル / 12: 座産土偶 / 13: 改正憲法 / 14: 神 / 15: 真理はない / 16: 無 / 17: メンデルスゾーン『交響曲第2番』 / 18: don / 19: 道元 / 20: 琴とオーケストラの協奏曲 / |
エネルギーは時空を貫通して無へと収斂する。
2016/12/12(Mon) 14:02:08 [ No.3184 ] |
ここ数日、何をしているのか自分で解らない状態だ。たぶん『サンスクリット原典現代語訳 法華経』(植木雅俊 訳)の上巻を読み終え、下巻を読み通すべきかどうか迷っているからだと思う。読むにしてもたいした時間はかからないから、どうせなら読了してしまえばいいのだが、どうにも気が進まない。
鳩摩羅什の訳による漢文読み下しの『法華経』は何百回となく読み込んでいる。しかし40年ほども経った現在でも、内容がどうにも解せない。釈迦没後500年後にまとめられただけに、嘘に嘘を塗り固めてあるような気がしてならないのだ。しかし、なぜ「仏典の宝庫」と言われるのか?何百回読み返しても解らない。ばかばかしいとも思える。しかし、底無し沼のように頭から離れないのだ。 そこで、原典訳なら少しは事情が分かるかと思って上述の本を読みはじめた。ところが、内容自体は変わらない。しかも「正確で読みやすい」などと宣伝しているが、固有名詞まで出てくるたびに同じく長たらしく意味を付して訳してあるから五月蠅い。本質的には、述べられていること自体、同じである。 ああ、どうしよう? 仕事も上の空。早く決着を付けなければ。とにかく、法華経の編者たちは、書きはじめたことがおかしいと気付いて、それを正当化するために次に屁理屈をこねているんだ。 そう自分で判断したんだから、その判断に自信を持てばいいのだ。しかし述べられている「無限」の概念は、宇宙の誕生は無限の時空において日常茶飯事だという、僕の描いている時空観に通じるんだよなぁ、、、、それでどうだというのだ? それでべつに構わないじゃないか。ブラックホールではなく、正に「底無し沼」。 2016/03/31(Thu) 17:32:37 [ No.3183 ] |
ふと、重力波という「波」であるからには、振動数や振幅、波長を持つだろうと思って調べてみた。
↓ Wikipediaより 「LIGOはワシントン州ハンフォードとルイジアナ州リビングストンに同じ構造の2基のマイケルソン干渉計をもつ。本格的な観測稼働の4日前の2015年9月14日09:50 (UTC)に、2台のLIGO干渉計で6.9ミリ秒の差で重力波と思われるイベントが計測された。35Hzから250Hzまで周波数を上げながら振幅を大きくする波形が0.15秒ほど続き、その後急速に減衰した。」 重力波の速度は約30万km/secだから、35Hzのときは約8571km──とほうもない長さだ。人間が聴くことのできる最低周波数は20Hzで波長は17mだから、聴力ではとてもとらえられないなぁ。 「重力の波」を感じてみたいものだ。 2016/02/23(Tue) 08:37:58 [ No.3181 ] |
べつにデカルトに難癖をつけるわけではないが、デカルトはほんとうにすべてを疑ったのだろうかという疑いを抱いてしまったので、無知な僕が以下のような無駄な考察を行なった。
【われわれがきわめて明晰かつ判明に理解することはすべて真であるということ自体、次の理由によって初めて確実となるからである。神があり、存在すること、神が完全な存在者であること、われわれのうちにあるすべては神に由来すること。その結果として、われわれの観念や概念は、明晰かつ判明であるすべてにおいて、実在であり、神に由来するものであり、その点において、真でしかありえないことになる。】(デカルト著、谷川多佳子訳『方法序説』p.54) これでは「卵が先か鶏が先か」という議論と同じである。実際、「デカルトの循環」として古くから指摘されているという。 それよりなにより、「明晰かつ判明に理解することはすべて真である」などとはけっして言えない。現在ではむしろ、「明晰かつ判明に理解することがすべて真であるとは限らない」というほうが真実に近い。とすると、人間がきわめて明晰かつ判明に「神があり、存在する」と言ったところで、何の根拠もないわけだ。 さらには、〈すべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟ウ、故ニワレ在リ〕」という(略)この真理−まず「真理」と言い切っている−を、(略)ためらうことなく受け入れられる、と判断した。〉(p.46)のだから、デカルトは神を疑わなかったと結論づけてもいいだろう。 2016/02/07(Sun) 18:12:08 [ No.3180 ] |
拙著『ディジタルホルモン』(小説:文芸社刊)が増刷になりました。気が向いたら購入してください。日本図書館協会推薦図書です。
2015/12/17(Thu) 11:20:55 [ No.3179 ] |