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◆ 無題 投稿者:龍門 歩  引用する 
クラシック音楽館「第1889回 定期公演 Cプログラム」録画鑑賞(収録 2018年6月15日 NHKホール)

 1.メンデルスゾーン/ヴァイオリンとピアノのための協奏曲 ニ短調
 2.ヤナーチェク/タラス・ブーリバ
 3.コダーイ/組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
指揮 : ウラディーミル・アシュケナージ
ヴァイオリン : 庄司紗矢香
ピアノ : ヴィキンガー・オラフソン

 1.は初めて聴いた。なんといってもメンデルスゾーンの曲! 甘美でやわらかくてなめらかで、しかも変化があって! 庄司紗矢香の好ましい演奏は言わずもがな;と同時に、ヴィキンガーの、力むでもなく軽くでもなきく、押さえるところは押さえて、歌心溢れるすがすがしいピアニズムに気持ちが和まされた。
 自分で驚いたのが2! この曲のタイトルは、ず〜〜〜〜〜っと昔から知っていて、もちろん何度も何度も聴いていた/はずだった/聴きはじめたら記憶にない! 終わりまで聴いても思い出さない! 茫然としながら認めざるをえなかった。つまり、初めて聴いたのだ! 
 アシュケナージさん、素晴らしい指揮ですね〜!! 誰かさんのようにしかつめらしく権威ぶったり高圧的だったりせず、心から演奏者たちに敬意を払い、みんなで音楽を創るという気持ちが溢れている! 奏でられる音楽は伸び伸びと生き生きとフレキシブルで、楽想が楽しかろうと悲しかろうと苦しかろうと嬉しかろうと、聴く僕としてはその芸術に心身を委ねていられる。
 音の良さは言うまでもないが、映像が劇的に変わった。これまで指揮者のアップ偏重だったのが、出だしの演奏者や楽器を映し出し(黒田英実さんですよね、いつも左奥上で実にマメに動いて演奏を支えてくださっている)、またこれまでにはなかった画角からの映像も見られる。コンサートにめったに行けない身としては、実にありがたい。
 政治に関する報道姿勢に怒りを覚える僕だが、クラシック音楽番組を楽しんでいる者として、視聴料を払わないわけにはいかないと思っています。

2018/09/11(Tue) 18:46:30 [ No.3204 ]

◆ アキロン・クァルテット 投稿者:龍門 歩  引用する 
 2016年、ボルドー国際弦楽四重奏コンクールで優勝して一躍注目を集めたという【アキロン・クァルテット】の演奏を鑑賞。曲はドビュッシー『弦楽四重奏曲 ト短調 作品10』。刃物のような切れ味、ギラリと光るテクニック、急がないのに息つく間もないスピード感! かといって無機質ではなく、「腕」を見せびらかすでもなく、深みのある共感の輪を投げかけてくる演奏!
 NHKのクラシック音楽番組を録画・鑑賞しはじめてから、初めて知る多くの演奏家たちと出会ってきたが、この弦楽四重奏団ほど感銘を受けた独奏者(たち)は数えるほどしかいない。
 ユジャ・ワン、エーネス、グリーンゴルツ、キット・アームストロング、 河村尚子……思い出せばたくさんいらっしゃるので、これからの出会いがますます楽しみになってきた。

2018/09/08(Sat) 16:12:01 [ No.3203 ]

◆ 文字渦 投稿者:龍門 歩  引用する 
【漢字の変奏曲】
 芋粥をたらふく食べたいという願いかなって、この数ヵ月、プロジェクター映像を見ながら音楽鑑賞三昧でした。ところが『芋粥(芥川龍之介)』よろしく流石に聞き飽きたころ、新聞の書評にあった『文字渦』という本に興味をそそられ、購入して読みはじめたら、なんと! アンプのスイッチを入れることもない『絶対臥褥(森田正馬)』の状態になりました。そして今日、数日かかって読了したのであります。
 物理系から学際系へと遷移し、しばらくウェブエンジニアをしてたらしい作者の円城塔氏のことを、僕は知りませんでした。このことは僕にとって驚くべきことではありません。なにしろ日本人の書くフィクションには、この数十年、興味を失っていたのですから。もともと、日本の(純文学的)「フィクション」はほとんど私小説や青春物語の域を出ていないと思うのです。夏目漱石しかり、川端康成しかり、その他その他。例外的に(僕の知っている限り)安部公房や三島由紀夫の作品がありますが、前者は内容のない鼻につく台詞が多く、自己陶酔の後者は美意識が先行していて思想が浅い;というわけです。
 読みはじめて、ロジャー・ペンローズ著『皇帝の新しい心』ほか何冊かの未読了書の仲間に入るかと憂鬱になりました。が、しばらく読み進めると、理系の頭脳が文字・漢字に取り憑かれたらこうなるか! というほどの偏執ぶりに驚倒。いまや機械仕掛けの箱の中にある文字・漢字(思考)のプログラミングや、無限後退、左右上下表裏斜回転対称を繰り返し、並行宇宙を生きる! という基本構造が見えてきて、それを楽しみはじめると、これまでに読んだことのない類いの文章であることに気付き、さらに「話」を進めるごとにコミカルな要素が加わりました。〔アミダ・ドライブ〕という「転生システム」を開発した旅行会社の話『金字』などは抱腹絶倒、文字さんたちと一緒に転生旅をしたのであります。
 最後に、実はこの書籍、小説でもエッセイでもなく、【漢字の変奏曲】であることに気付いてニンマリしたのでした。
さて、この書籍の文字組みは、文字は「活字としての実体さえ捨て情報的な存在とな」ったから可能になったのです(昔の活字の組み版では絶対に不可能でした)。 

2018/08/23(Thu) 17:37:41 [ No.3202 ]

◆ 機械に意識 投稿者:龍門 歩  引用する 
 仮に「脳は神経回路に過ぎない」としても、脳は脳だけで活動することはなく、脳を含めた身体の「体験」が「我」なのだと思う。「意識」が脳だけで生まれ、機能するとは考えられない(事実、脳だけが司令塔だと思われていた身体において、あらゆる内臓同士がコミュニケーションを行ない、連携していることが解ってきたというではないか)。科学の先端を行く研究者が見落としているとは思えないが、確認しておくと、五感をはじめ身体全体で環境と相互作用することによって人間(脳ではない:ここが重要)は喜怒哀楽を覚え、知的活動等々が可能なのだ。
 開頭して脳とコンピューターを回路として一体化した状態で日常生活を送ることができれば、活動で生じたあらゆる情報を伝達し、蓄積できるかもしれない。もっとも、脳が死んだ後、「活動の主体」を「脳」と同じように担うことができるかどうかは疑問である。そもそも、「意識のある機械」にとっての「活動」とは何だろう? 残念ながら思い浮かばない。
 なお、デカルトの「我思う、故に我あり」は「神を疑わない」ことによって出された「結論」である。ついでに、「思う」は「惟う」と書くべきだとする説がある。

2018/08/16(Thu) 10:21:33 [ No.3201 ]

◆ ブラームス作曲『チェロ・ソナタ第2番 ヘ長調 作品99』 投稿者:龍門 歩  引用する 
『マキシミリアン・ホルヌング&河村尚子 デュオ・リサイタル』(クラシック倶楽部)【収録】2017年10月12日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ

 ブラームス作曲『チェロ・ソナタ第2番 ヘ長調 作品99』がとてもいい演奏だった。瑞々しい音で、あまり起伏のないメロディーをよく歌わせ、滾々と湧き出る泉のように弾ききったホルヌングはお見事! 見ていて面白かったのは河村さんの表情。音符に対してどんな感情を抱いているかが手に取るように解る。いかめしい表情、眉をしかめる表情、悪戯するような表情などなど千変万化! もちろん演奏も生き生きしていた。

2018/08/01(Wed) 15:18:20 [ No.3200 ]

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