1: AIと恋愛 / 2: アプローチ / 3: 思考の欠損 / 4: 我が創作の根底 / 5: 改憲論議 / 6: 京マチ子逝く / 7: 半減 / 8: CO2 / 9: 「平坦」ではなくなった / 10: バッハ「世俗カンタータ」より / 11: ドゥダメル / 12: 座産土偶 / 13: 改正憲法 / 14: 神 / 15: 真理はない / 16: 無 / 17: メンデルスゾーン『交響曲第2番』 / 18: don / 19: 道元 / 20: 琴とオーケストラの協奏曲 / |
指揮:テオドール・クルレンツィス+管弦楽&合唱:クルレンツィスムジカエテルナ+ソプラノ:アンナ・プロハスカ+アルト:カタリナ・マギエラ+テノール:マウロ・ペーター+バス:タレク・ナズミ
によるモーツアルト『レクイエム』の録画鑑賞(収録:2017年7月23日 フェルゼンライトシューレ(ザルツブルク))。 全体に現代風の速めのテンポ(基本的には僕は好みではないが)ながら、指揮者の意図がはっきり伝わり、それを演奏者たちが表現しているのでモーツアルトの魂が蘇るような生々しさ、初々しさ、生命感があふれ出てくる。 Lacrimosaのあと唐突に、レヴィン版のようにAmenが数小節歌われる。メロディーもテンポもモーツアルトらしくない部分で、少々違和感を覚えた。 特筆すべきは、ジュスマイヤーが作曲したと言われる(詳細は違うかもしれないが)OffertoriumとSanctusに躍動感が与えられていたことだ。僕などはつい、謂われもなくレベルが低いと思い込んで聞き流してしまいがちなのだが、クルレンツィスはモーツアルトの作曲した部分と同等に扱い、演奏を真摯に組み立てており、息もつかせぬほどの生命感が吹き込まれている。この曲はずいぶん聴いてきたが、これほど新鮮に感じたことはない。 独唱陣では、バスとアルトが好みだった。明瞭な低音が深々と歌い、歌詞に意味を持たせ、共鳴させてくれた。ソプラノのプロハスカは、たとえばヴィルマ・リップのような天上的な澄んだ声というより、人間の声として、或る意味、泥臭く響き渡った。テノールは声も歌唱もいいのだが、発声するとき歪む口の形が気になった(本筋ではないけれど(^^;)。 最初から最後まで聴き手を引き込む、とてもとても素晴らしい演奏だった。 2018/04/10(Tue) 14:53:14 [ No.3194 ] |