不確定性原理とカオス理論大好き人間

「不確定性文学」なんて、ちょっと堅い「研究室」ですが、たしかにイメージの根本にあるのは物理学の「不確定性原理」です。

 僕たちが中学・高校レベルで学んだ古典力学では,物体の運動はニュートン方程式によって記述されます。位置と運動量の初期条件が与えられれば、あとはニュートン方程式によって任意の時刻(過去でも未来でも)における位置と運動量は正確に予言できます。

 ところが、1927年にハイゼンベルグが提唱した理論「不確定性原理」によれば、「フォトンや電子といった素粒子の位置と運動量を同時に正確に決めることは原理的に不可能だ」とのことです。

 たとえば、電子の位置を正確に測定するにはどのようにしたらよいかという課題を考えてみます。正確に位置を測るために、光(当時知られていた最も波長の短いγ線)を当ててその反射で位置を測定する。ところで、観測に使うγ線が電子に当たることで電子の位置が擾乱されます。つまり、測定すること自体が測定誤差を生み出してしまうのです。

 実はハイゼンベルグの思考実験は、γ線を光の粒と考えていたのですが、光の二重性−波動性と粒子性−を考慮していない点を、論文発表前にボーアによって指摘されたのです。最終的には、「波動性と粒子性の相補性により、波動性(時間や位置)と粒子性(運動量やエネルギー)の一方を正確に測定することは系を擾乱する。この擾乱により相補的なもう一つの変数が不確定性の制限を受けることになる」という解釈になっています(YOU MAY BE RIGHT参照)。

 もう一つ、最近僕が驚いた理論があります。それは「決定論的カオス」です。

合原一幸著『カオス――まったく新しい創造の波』(講談社,1993)から記述を引いてみましょう(メディアと哲学[7]決定論的カオス〈計測しえないもの〉という影/黒崎政男参照)。

●カオスとは,あるシステムが「ある時点での状態(=初期値)が決まればその後の状態が原理的にすべて決定される」という決定論的法則にしたがっているにもかかわらず、ひじょうに複雑で不規則かつ不安定なふるまいをして遠い将来における状態が予測不可能な現象のことである。(p.149)

●その結果、現在までに実に広範囲な学問世界においてさまざまなカオスが確認され、カオスが特別な現象ではなく、実は非線形なシステムにおいてごくあたりまえのように起こるありふれた現象であることが判明した。そしてニュートン的力学的世界観が、「完全な予測」という古典的束縛をのがれて、新たに生まれ変わろうとしている。(ibid.)

●わずか20年前までは、多くの研究者たちがこのような複雑で不規則で不安定的なふるまいを決定論的力学の問題として取り上げることはなかった。もし取り上げるとすれば、それは確率・統計理論の問題としてであった。(p.38)

 ところが、これまでの力学の世界観は先にも触れたように、次のようなものでした。

●この世におけるすべての自然現象は単純で合理的で秩序正しい決定論的法則に従って動いており、その法則を表わす方程式と初期値さえわかれば、すべての現象の過去の状態はもとより、未来永劫の状態もすべて知ることができる(……)。(p.45)

●従来、物理学では、線形的システムをその中心的対象としてきたが、線形システムでは重ね合わせの原理が成立するために、「現象を、解析が簡単な要素に分解して各要素を理解し、その重ね合わせで全体を理解する」(p.49)という要素還元的風潮が支配的だった。

 これに対して決定論的カオス研究は、「きちんとした法則に従うシステムが、乱れる外部要因がまったくないにもかかわらず、おどろくべき複雑さをそれ自身の法則によってつくり出す。そして法則がわかっていてもそれらからその法則に従うシステムの将来の状態を完全に予測することは、初期状態を無限の精度で正確に知るという実現不能な要求が満たされない限り不可能である」(p.58)ということを明らかにしました。また、

●カオスは周期的ではない、ひじょうに複雑な非周期的現象である。したがって、アトラクター上の軌道も二度と同じところに戻ることはない。(p.86)


 のですが、 1917年フランスの数学者ジュリアが複素数に関する論文のなかに述べていたZ=Z*Z+C という数式を、1980年IBMの研究所でマンデルブロ博士がコンピュータを使って計算をしてみたところ、計算範囲と計算回数を上げて(拡大)いくにしたがって次々と変わった模様が現われて無限に続くことがわかりました

フラクタルグラフィックス−複素函数の描く不思議な画像−マンデルブロー集合とジュリア集合参照)。
シミュレーションのウェブサイトもたくさんあるので、数値を入れてためしてみるとおもしろいですよ(フラクタルとカオスの館参照)。

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